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王城の回廊を歩いていたコナリーは、懐かしい顔に出会った。
魔王討伐で共に戦った魔法使い、エドワードだ。
「やあ、コナリー。久しぶりだな。」
「エドワード、お前も王都にいたのか。」
「最近は宮廷魔導士としての仕事が増えてね。お前も軍務顧問として忙しいんだろう?」
「まあな。」
軽く言葉を交わす二人だったが、エドワードはどこか誇らしげな笑みを浮かべていた。
「実は報告があるんだ。」
「報告?」
「契約した聖女と婚約した。」
コナリーは目を見開いた。
「……婚約?」
「そうだ。魔王討伐を終えて、改めてお互いの気持ちを確認したんだ。契約の時点で強い絆があったからな。今度は正式に、将来を共にすることにした。」
「……そうか。」
エドワードは少し照れくさそうに笑った。
「お前もどうだ? 契約していた聖女と、そういう話はないのか?」
「……遥とは、そういう関係ではない。」
即答したものの、自分の言葉にどこか引っかかりを覚える。
エドワードは肩をすくめて笑った。
「まあ、今はそうかもしれないがな。」
「……おめでとう。幸せにな。」
「ありがとう。じゃあ、またゆっくり話そう。」
軽く手を挙げ
◆◆◆◆◆空気が、変わった。復活したカイルの存在そのものが、空間に歪みをもたらしていた。静かに立つだけで、そこに満ちる異能が周囲を圧倒する。ルイスはその気に膝を折りながらも、必死に呼吸を整え、意識を保っていた。だが隣で、アドリアンの様子が明らかにおかしい。「……はははっ!これが……俺の真の力か!」ぶるぶると震える指先が、弓を再び構える。その矢先は――ルイスに向けられていた。「ルイス……お前さえ、いなければ……っ!」目は血走り、喉の奥から絞り出すように呪詛が溢れる。「正妻の子で、血筋も良い。俺より優れていると、皆が言った。だが父上は……俺の母を愛した。側室である母を、誰よりも愛した!」目の奥に浮かぶのは、焼き付いたままの過去。「だからこそ、俺は選ばれたんだ! 臣下たちの反対を押し切って、王太子にされたんだ! そのはずだったのに……っ!」アドリアンの体が震える。「……俺が魔王討伐に行ったのに! 俺が命を懸けたのに! お前は何もしていない! 舞踏会で、俺の功績を暴かれ、父から謹慎を言い渡されて――その隙に、またお前が……!」怒りと嫉妬と焦燥が、怒涛のように言葉となって溢れ出す。「お前さえいなければ……! 父上の目は再び俺に戻る! 王国も、王位も、すべて俺のものだ!」「ルイス! そしてあの聖女も、騎士も! お前に味方する全てが邪魔だ――!」にじむ涙か、ただ狂気か。アドリアンの顔は、もはや人のそれではなかった。「……ずっと……ずっと、憎かった……!」矢が、放たれる。魔力を帯びた一閃は、真っ直ぐにルイスの胸を狙っていた。「ルイス、逃げて!!」遥の叫びが、空間を裂くように響いた。だがルイスは動けなかった。恐怖ではなかった。ただ、あまりに剥き出しの憎悪を真正面から受けて、呆然とその場に立ち尽くしていた。そのとき――空間が、歪んだ。まるで水面に石を落としたような波紋が、アドリアンとルイスの間に広がる。放たれた魔法の矢が、突如としてその歪みに吸い込まれ、かき消された。そして――何もなかった空間が、ふっと裂けた。アドリアンの背後。その空間に、さきほど飲み込まれたはずの矢が姿を現す。矢は迷いなく彼の背を貫き、そのまま胸元へ突き抜けた。「……え……?」己の放った矢が、己の身体を穿つ――その現実を、アドリアンの思考
◆◆◆◆◆神殿の奥へと足を踏み入れた瞬間、空気がまた一変した。静寂。風ひとつ吹かないのに、耳鳴りのような音がする。まるで、時そのものが止まってしまったかのような錯覚すら覚える。足元は静かに整えられた石床。苔も崩れもない。けれど、異様な静けさが空間全体を支配していた。やがて、通路の先が開ける。そこに広がっていたのは、天井の高い巨大な空間だった。闇に沈むその場所には、無数の石像が無造作に立ち並んでいた。どれも人の姿をしており、衣は王族の格式を思わせる。足元には、封印のための魔法陣が刻まれている。「……これは……」ルイスが、息を呑んだ。それらの像は、かつての王族たち――異能を持ち、生まれながらにして“特別”であったがゆえに、同じ王族の手で封印された者たち。王国の長い歴史の陰で、決して語られることのなかった、“血の継承”の代償。ルイスにとって、それは遠い祖先であり、同時に彼自身の未来に繋がるものだった。沈黙の中で、遥はルイスにそっと声をかける。「……ルイス」苦しげに伏せられた目が、ほんの少しだけ持ち上がる。「大丈夫だ」その声は、平静を装いながらも、わずかに震えていた。「この中に……アーシェの兄がいるのか?」遥は無言で頷き、指輪を見下ろした。「教えて、アーシェ」囁くように語りかけると、指輪が静かに光を放ち、その光はゆっくりと空間の片隅――地下へと続く階段を照らし出した。「下に……いるみたい」そう言って、遥は先導するように階段を降りていく。ルイス、コナリー、ノエルがそれに続いた。下へ、さらに下へ。冷気の中に、静かに鼓動するような魔力の波が漂っている。足音だけが、空間に淡く響いた。やがて、広間の扉が現れる。その扉を押し開いた瞬間、遥の指輪が脈打つように輝いた。目の前には、ただ一体の石像が立っていた。それまでに見てきた石化された王族たちとは、明らかに何かが違っていた。――封印が、重い。まるで、強大な異能を封じ込めるために、幾重にも魔法が重ねられたかのように。石の表面には複雑な封印術式が何層にも刻まれ、魔力の鎖が幾重にも絡みついている。けれど、それでもなお。その石像は、どこか、寂しげだった。静かにうつむくその表情には、怒りはない。あるのはただ、深い眠りの中に取り残された者の――悲しみに似た、静けさだった
◆◆◆◆◆魔王領に足を踏み入れた途端、空気が変わった。木々の枝は不自然にねじれ、吐き出される風には腐臭が混じっていた。濃い霧が地面を這い、日差しは届かず、空がどこにあるのかも曖昧になるほどだった。「……油断するな。何かいる」ルイスが手を挙げて全員を止めた瞬間だった。「来る――!」コナリーの声と同時に、茂みからぬらりと姿を現した魔物が突進してくる。四肢は異常に長く、鱗に覆われた肌が不気味な光を放っていた。「前へ!」ルイスが剣を抜き、馬から飛び降りる。鋭く振るわれた剣が魔物の前脚を断ち切る。だが、背後からもう一体――「っ……ルイス!」遥の声が届く前に、銀色の騎士がすでに動いていた。コナリーの剣が、斜めから襲いかかる魔物の喉元を断ち切る。だが――「くっ……!」一瞬、彼の右手が止まった。剣を強く握れず、動きが鈍る。「コナリー!」遥が叫ぶ。彼は今にも倒れそうな騎士の姿に、衝動のように手を伸ばした。「お願い……!」遥の指に嵌められた指輪が淡く光を放ち始めた。光は、まるで祈りのようにコナリーに届く。彼の右腕に走っていた疼痛が、ふっと引いた。「……遥」一言だけ呟いたコナリーは、息を整えると剣を握り直す。「行けます」その声と共に、彼の身体が宙を駆ける。鋭く切り裂かれる風。魔物の首が落ち、霧の中に血が噴き上がった。ルイスとコナリー、二人の騎士が背中を合わせる。「左、任せる!」「了解!」息の合った連携が、霧の中を切り裂いていく。残った魔物が呻き声をあげて後退し、森の奥へと姿を消した。静寂が戻る。精鋭の兵士たちは剣を構えたまま、遥とノエルの周囲を固めていたが、戦闘の主役にはなれなかった。「すごかった……」呆然と二人の騎士を見つめるノエルの声に、遥は小さく頷いた。ルイスは軽く息を吐きながら、遥に笑いかけた。「無事で良かった」コナリーもまた、少しだけ肩で息をしながら、遥の方を見た。「力を……ありがとう。確かに届きました」遥は何も言えず、ただ頷いた。胸が、じんわりと温かくなっていた。そして、周囲を守っていた兵たちに、遥は微笑みながら言った。「みんな、ありがとう。おかげで守られた」兵たちは気恥ずかしそうに頭を下げる。「聖女様を守るのが、我らの務めです」四人と護衛は再び歩き出した。霧に包まれた森の奥を進むうちに、
◆◆◆◆◆まだ陽が完全に昇りきらない静かな朝。 ノエルの邸宅の前には、出発の支度を整えた馬と荷車、そして護衛の兵たちが整然と並んでいた。屋敷の扉が開き、ノエルの母――セリーヌ夫人がゆっくりと現れた。 淡い羽織をまとった彼女の瞳には、息子を遠くへ送り出す母の不安が滲んでいた。「……もう行くのね」「母上、大丈夫です。必ず戻ってきます」ノエルはぎこちなく笑いながら、近づいてくる母の手をとろうとする。 だがセリーヌ夫人はそれよりも早く、彼をそっと抱き寄せた。「……無事でいてちょうだい。どんなことがあっても……ね」「う、うん……っ」ノエルは頬を赤らめながらも、恥ずかしそうに抱擁を返した。 その背中を軽く叩くと、セリーヌ夫人は彼を離し、視線をルイスへと移した。「ルイス殿下、ノエルを……どうか、よろしくお願いいたします」「……はい、姉上。必ず無事にお返しします」真摯に頭を下げるルイス。 その端正な面差しに、セリーヌ夫人はわずかな安堵の微笑みを浮かべた。「皆さまが無事に帰られることを、心より祈っております」そして、最後に控えていた数名の精鋭兵を前に出させる。「この者たちがあなた方を護衛いたします。王宮に仕えていた者たちです。腕は確かです」「……心強い援軍です。感謝いたします」コナリーが丁重に礼を述べる。 その背には既に鞍が用意され、遥は彼に手を引かれて馬に乗る準備を整えていた。やがて、準備が整う。馬が一斉にいななき、遥たち一行は出発した。彼らが目指すのは、魔王領内、ルミエール王国とエルデン王国の国境をまたぐ密林地帯。 かつて古代王族たちが石化され、封印されたとされる“封印の地”である。朝靄に包まれた林道。 馬蹄の音だけが、静かに世界を刻んでいく。◇◇◇邸宅の外れ、小高い林の影。 そこに身を潜める一人の兵士がいた。(……ルイス殿下、ついに動いたか)隠密装束に身を包んだ男は、手早く腰の袋から伝書鳩を取り出し、 小さな巻紙をその足に括りつける。「急げ……殿下のもとへ」空へと放たれた鳩は、朝焼けを裂いて飛び立っていった。◇◇◇王都、城内。王太子アドリアン・ド・ルミエールの私室にて、侍従が緊張した面持ちで巻かれた小さな書簡を差し出した。「王太子殿下、件の報告が届きました」アドリアンは無言でそれを受け取り、手早く封を切って目を走ら
◆◆◆◆◆夕暮れ時の柔らかな光が、食堂の高窓から差し込んでいた。重厚な木製のテーブルの上には、湯気の立つスープ、こんがりと焼かれたパン、香草でローストされた鴨肉、そして色とりどりの温野菜の煮込み料理が、所狭しと並べられている。どれも邸の料理人たちが腕をふるった品々で、香りが室内をほのかに満たしていた。使用人たちが食器を整え、静かに身を引くと、食堂には四人だけの静かな空間が残される。遥はまだ少し身体の重さを感じていたが、こうして皆と向かい合っているだけで胸がじんわりと温かくなった。自分が倒れたことを皆が気にかけてくれた。それが嬉しくて、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。「……いただきます」静かにそう口にすると、それに続くように他の三人の食事が始まった。「………」遥は香草の香り立つスープを静かに口に運び、ひと匙、またひと匙と黙って味わった。けれど、食べ進めるほどに胸の奥で何かが重くのしかかっていく。やがて、そっとスプーンを脇に置いた遥は、目の前の食卓に視線を落としながら、ゆっくりと口を開いた。胸の内には、ずっと伝えなければならない想いが燻っていた――。(今、言わなきゃ……このままじゃ、何も進まない)ふと手を止め、遥は深く息をつく。「……あのさ。俺、話があるんだ」唐突な言葉に、全員の手が止まり、視線が一斉に遥へと向いた。スプーンを置き、遥はまっすぐに三人を見渡した。 にぎやかだった会話が止まり、全員の視線が遥へ向けられる。「夢を見た。アーシェが出てきて……その中で、彼の兄――カイルが封印されている場所を見せられたんだ」コナリーの眉がわずかに動く。ノエルは息をのむように頷き、ルイスは言葉を飲み込んだまま、無表情を保った。「彼は言ってた。『兄を目覚めさせてくれ』って……多分、それが、アーシェの最後の願いなんだ」その言葉に、ルイスの表情が険しくなる。「……だめだ」低く落ち着いた声だったが、そこには揺るぎない拒絶の意志があった。「魔王が再び生まれる可能性がある。もし異能が暴走すれば、手がつけられない。それを目覚めさせるのは、あまりにも危険すぎる」「それでも、俺は行きたい」遥は静かに言い返した。その声には、確かな熱が宿っていた。「彼の願いを、俺は無視できない。……それに、確かめたいんだ。あの兄弟が、本当に望んでいたものが何だっ
◆◆◆◆◆――岩に沈む王たちの影。冷たい空気が石の間をすり抜け、刻まれた封印陣の中心に光が集まっていく。「遥……」その声に、遥はゆっくりと顔を上げた。夢の中。彼は、青白く透けたアーシェの姿を見つめていた。「この先にある。僕の兄が眠る、あの場所が……」言葉と共に視界が揺らぐ。浮かび上がったのは、広大な石造りの広間。壁には古代文字が刻まれ、床には複雑な魔法陣。高く昇る天井の奥は、薄闇の中に沈んでいる。「君が来てくれるなら、道は開かれる。……指輪が、君を導くだろう」光が揺らぎ、アーシェの姿が淡く滲んでいく。その指先に手を伸ばそうとした瞬間――霧が立ちのぼるように、彼の姿は静かにかき消えた。(……ああ、ここが……封印の地)◇◇◇「……っ」遥はまぶたを震わせ、ゆっくりと目を開けた。部屋の中には、夕暮れの光が差し込んでいた。厚いカーテンの隙間から、赤く染まった空が見える。少し肌寒い風が、頬を撫でた。すぐ隣には、金の髪。コナリーが椅子に座ったまま、眠るように目を閉じていた。けれど遥が動いたのに気づくと、すぐに瞳を開き、柔らかな笑みを浮かべる。「……目覚めて、良かった」